人を大切にする経営のための会計(3)

今回で会計については最終回になりますが、これまでの話を要約してみます。

第1回の要点整理 「会計について」

会計は、事業活動を「見える化」する機能を持っています。経営者は、会社のお金を預かる立場にあることから、その収支状況を毎年関係者に説明する義務があります。

  • ・国に税金を納めるため⇒決算書(年次決算)
  • ・上場企業:株主配当のため⇒有価証券報告書(四半期決算)

このように実務上の目的もありますが、何より大切な目的は、経営の役に立てるためだと思います。経営の役に立つという意味で、最も重要な役割は「会社を潰さないこと(Going Concern)」です赤字になっても会社は潰れませんが、仕入れ代金でも、お給料でも、払うべきお金が払えなくなると事業は継続できなくなり、会社は潰れてしまいます。したがって、会計の一番大切な役割は、資金調達です。この資金調達のための会計を財務会計(Financial Accounting)といいます。これは、経営の最高責任者が学ばねばならない会計知識です。

財務的な判断は、大きな会社では財務責任者CFOが担当しますが、小さな会社では社長自身か、信頼できる家族が担当しているのが普通です。ちなみに当社のCFOは、財務会計の専門家である私ですが、ほとんどの会社の社長は、財務会計のプロではありません。信じられないかもしれませんが、多くの社長が「勘」や「運」に頼って財務会計を行っています。その人の気分や性格が一番出てくるのが、この財務のところではないかと思います。結果的に、会社を潰す原因を作るのも財務会計である場合が多いのです。

繰り返しになりますが、経営の役に立つという意味で、最も重要な役割は会社を潰さないことです(Going Concern)。会社を潰さないためには、経営者や実際に現場を取り仕切る経営幹部が、正確に経営実態を把握して、正しい経営判断をしなければなりません

この経営判断をするための会計、つまり現場の経営に必要な情報を提供するための会計を管理会計(Managerial Accounting)といいます。これが、経営幹部が学ばねばならない会計知識です。具体的には、主に業績を向上させるための財務三表(BS、PL、CF)や、月次管理資料等を通して、経営の真実(実態)を見抜く「知恵」を身に着ける(学ぶ)ことです。

 

第2回の要点整理 「損益計算書(PL)について」

経営の成果は、最終的にお金で換算される数値として出てきます。損益計算書(PL)とは、会社の一定期間(1年/財務会計年度)の経営成績を表す決算書のことです。

 

利益は、売り上げから費用を引いた差額概念であり、計算結果です。計算結果である以上、計算根拠となる売り上げと費用の部分をきちんと管理するルールを作らなければなりません。その中で一番大切なのが、毎年同じ基準で売り上げを計上し、同じ基準で費用を計上することです(継続性の原則)。また、会社の「考え方(主観)」によって計算の仕方が変えられるものについては、経営者自身が明確にその根拠を把握せねばなりません。

しかし、損益計算を経営者や現場で恣意的に操作(粉飾)している会社もあります。損益計算書を読めるということは、「いい売り上げ」なのか「悪い売り上げ」なのか、「ホンモノの利益」なのか「ニセモノの利益」なのかを見抜けるようになることです。ドラッカーは、利益とは、会社が生き延びていくためのコストであり、会社が継続する上での保険のようなものと言っています。

当社では、利益とは、WTPを創造した結果得られるものであり、経営目的ではなく、Going Concernのためのコストであると考えていると述べました。

損益計算書には、「〇〇利益」という項目に様々な数字が書いてあります。多くの人がPLを見れば儲かっているかどうかがわかるといい、よく「この会社は経常利益率が〇%だからいい会社だ」などと言っています。しかし、そもそも「儲ける」とは、どういうことなのでしょうか?

  • 利益が出て、税金を払っているから儲かっている
  • ・利益は出ているが、予定していた利益より低かったので儲かっていない
  • ・前年を上回る(下回る)業績だったので儲かっている(儲かっていない)

これらが実際は非常にあいまいで、部下は儲かっていると思っていても、経営者は全然儲かっていないと思っていることがあります。実は、きちんと会計のことを分かっていないと「利益」と「儲け」の違いを理解することができません。これを解くカギは貸借対照表(BS)にあります。今回は、BSについての本質的な話をしたいと思います。

 

5.貸借対照表(BS)について

会計の本を読むと、貸借対照表(Balance Sheet)とは、一定時点における会社の資産と負債・資本を対比させることで会社の財政状態を表すものであると書いてあります。

上図が一般的なBSの説明ですが、非常に分かりにくいのではないかと思います。一般的に、流動資産には、上から順番に現金化しやすいものから並べられているといわれています。そして、固定資産など換金しにくいものは下の方に書いてあるということです。また、流動負債は短期的なもの、固定負債は長期的なものであるという説明が一般的ですが、そういう説明をきいてもよくわからないので、BSは考えてわかるというものではなく、暗記するものであるという感じになってしまいます。ところが、BSの構造を暗記しても、書いてあることの意味が腑に落ちていないと、使いこなせません。そのため、PLは使えるがBSは使えないという人が多いのです。それはBSの本当の意味が理解できていないからだと思います。

そこで、このBSの構造を全く違う表現(下図)で説明してみたいと思います。

ちょっと極端な表現ですが、まず、BSの左側は会社の「現金製造機」が示されていると思ってください。つまりCASH(現金)がCASHを生む仕組みが、BSの左側には書かれているのです。上図のように、「固定資産」というのは現金製造機のハードのことです。製造業的には、土地や工場などを指します。そして、この現金製造機に現金を投入すると、別の形になって現金が生まれてくるのです。これがBSに書かれている内容なのです。

現金製造機の中身ですが、現金が別の現金に形を変えていくプロセスのことを「流動資産」と呼んでいるのです。このプロセスでどんなことが起こっているかというと、現金製造機に投入した現金で仕入れた材料は、材料→仕掛品→製品→売掛金という流れで形を変えていきます。実はこのプロセスは、付加価値を生むプロセスでもあります。現金製造機の中で、現金はモノに変わり、モノに付加価値が生まれ、その付加価値が販売されて売掛金に変わります。この最初に投入した現金と、売掛金の差額を「利益」といい、最初に投入した現金と、実際に回収できた現金の差額を「儲け」と言うのです。これが「利益」と「儲け」の違いです。実は、会計の本には儲けという表現では書かれていませんが、実際はこの儲けがとても重要です。利益と儲けは違いますので気を付けてください。

本当のリストラとは?

突然ですが、リストラってなんだと思いますか?

一般的に、リストラとは、人員解雇とか事業整理のことでしょう。しかし、リストラの本来の意味は、BSの左側の現金製造機がうまく稼働しなくなった時、稼働させるようにすることなのです。より生産性を高めるために実施する資産の再構築(Restructuring)であり、極端な言い方をすればキャッシュを生まなくなった資産を、キャッシュを生む資産に変えること」なのです。

たとえば、

  • 生産能力の落ちた機械なら?
  • 商品にならない材料なら?
  • 売掛にならない在庫なら?
  • 収益に貢献しない社員なら?
  • 経営能力のない役員なら?
  • 採算の悪い事業なら?

という問題に対し、どうするかを決断し、実行するのが経営者の仕事です。そして、こうした課題を発見し、何を優先すべきかを判断するために使うのがBSです。さらに、これを実行するうえで重要になってくるものとして、キャッシュフロー計算書というものがあります。

 

6.キャッシュフロー計算書(CF)について

キャッシュフロー計算書というと、BSよりもさらに分かりにくいものだと思われるかもしれませんが、財務三表の中で私が一番重要視しているのがキャッシュフロー計算書です。というか、毎月きちんと見ているのはキャッシュフローだけであると言っても過言ではありません。それは何故かというと、経営者の使命が「会社を潰さない」こと(Going Concern)だからです。

前にも言いましたが、どうなると会社は潰れるのか?という問いに、ほとんどの経営者が「赤字になること」だと思っています。しかし、赤字になっても会社は潰れません。逆に、黒字でもお金が払えなくなると事業は継続できなくなり、会社は潰れるのです。たとえば、急に売り上げが上がった会社が、売れるからといって大量の材料や人を投入し、製品を作っていくと、売り上げを回収する前に支払いが来てしまい、その間の資金調達ができていないと黒字倒産してしまうということがあります。

したがって、経営者にとって最も重要な仕事は、長期的に安定して現金を供給し、資金が途切れることなく回る仕組みを作ることです。この仕組みができていて、現金が回っている状態が「儲かっている状態」だと私は考えています。そのために極めて重要な財務諸表がキャッシュフロー計算書(CF)ですが、残念なことに中小企業経営者の大半はPLばかりに気を取られており、CFを使いこなしている経営者を、私はほとんど知りません。

しかし、PLには、お金がどう使われたかについて、何も書かれてはいません。コストとしていくらかかったかという金額はわかっても、それが有効に使われたのか、ムダに使われたのかという内訳はわからないのです。この動きを見るのがキャッシュフロー計算書(CF)です。資金とは会社にとって血液のようなものです。流れが止まってしまうことは、会社にとって致命的なことなのです。

CFとは、一定期間における現金の増減を示す財務諸表です。BSやPLとの最大の違いは、現金はウソをつかない(粉飾できない)ということです。「現金に(奇麗な金、汚い金というような)色を付けることはできない」という諺がありますが、CFでは、お金に3つの色を付けて考えます。

  • 1)営業キャッシュフロー:商売の結果生じた現金収支のこと(儲け) 
  • 2)投資キャッシュフロー:主に固定資産の投資、処分に伴う現金収支のこと
  • 3)財務キャッシュフロー:借入の増減、資本調達などに伴う現金収支のこと

※フリーキャッシュフロー:営業CF-(投資CF+税金)自由に使うことができる現金収支のこと

実は、このフリーキャッシュフローがどのくらいあるかということが、会社が儲かっているかどうかを判断するところですが、これを理解しきれていない経営者が多くいると思います。営業キャッシュフローは、BSの左側に示された現金製造機の中身の比較によって示されるものです。言うまでもなく、これが最重要なキャッシュフローです。

営業キャッシュフローを大きくするために、当社がこれまで問題提起してきたことは、次の4つです。

  • 1)事業形態の選別:派遣常駐型から受託開発型へのシフト
  • 2)受託案件の選別:顧客主導から当社主導へのシフト
  • 3)取引先の選別:大口取引先依存型から分散型へのシフト
  • 4)受注形態の選別:競争見積もり型から単独発注型へのシフト

売り上げを増やそうとすると、大型案件に目が向きやすく、利益を増やそうとすると利益率ばかり考えるのですが、大型案件は長期在庫を生みやすく、また、たとえ利益率が高くても、手離れの悪い商品や手戻しの多い商品はいつまでも現金を生みません。決して、量や利益率だけで見るのではなく、トラブルが起きないような仕組みを作っていかなければなりません。

CFを重視した経営で何よりも大切なことは資金効率です。少ない資金で仕入れ、リードタイムを短くし、在庫を減らして、資産(リソース)を何回も回転させることで現金はどんどん増えるのです。1年に1回しか回転しない現金製造機よりも毎月回転する現金製造機の方が、儲かるということです。これがタイムベースマネジメントの本質でもあります。この本質を理解しないまま、ひたすらに一生懸命頑張ることは、「努力逆転型」と言って、努力しても営業キャッシュフローが増えないという皮肉な現象が起こってしまいます。

したがって、自社のキャッシュ製造サイクルを点検し、もしキャッシュを生まない仕組みになっていたらリストラ(再構築)してキャッシュを生む仕組みに変えること。これが経営幹部の仕事です。それでは、どうすればキャッシュを増やすことができるのでしょうか?

  • ・価格競合型商品をやめて非価格競争商品にする
  • ・価格決定権を持てるような付加価値を創造する
  • ・リードタイムを短縮して資産の回転をよくする
  • DCF(Discount Cash Flow)的に「見えない資産」に着目して、資金を投入する

DCFとは、フリーキャッシュフローを増やすにはどうするかということを考える経営戦略のことをいいます。そのためには、BSに書かれている「見える資産」だけでなく、BSには載らない社員の知識やスキル、やる気などの「見えない資産」に対しての投資も、成果をあげるために行うことが、次期経営計画のテーマにもなっています。

CF経営の要諦は、そういう意味で投資と浪費を見極めることに尽きると思います。BSやPLに損益計算や利益があがっているかいないかとは別で、経営者はここを自問自答しながら厳しい経営をしていかなければならないと思っています。

以上、3回にわたり会計的なお話をしましたが、経営理念実現のための有効な資金の投入を考えるために、財務諸表を有効に使っていただきたいと思います。そして、「人を大切にする経営のための会計」とは、「社員の幸福を実現するために、いかにお金を使うかが大事である」ということを理解していただければ幸いです。

 

 

人を大切にする経営のための会計(2)

今回も、人を大切にする経営を実践していく上で必要と思われる会計についてお話しします。社員の皆さんが、戦略的なものの見方をするためにも、一般教養的にも、財務諸表を見てどんなことが書いてあるかということを知っておいた方がいいでしょう。また、会社の目的が何なのかということにも関係しますが、「利益」という概念をどう認識するかも大切です。ということで、今回は、損益計算書や利益についての話をしたいと思います。

 

2.損益計算書(PL)について

当社は以前、トップの経営方針で、本部長や支店長などの経営幹部にも月次の損益計算書等の経営情報を公開していませんでした。ですから、「今年は経営が苦しいからもっと利益を上げろ」と言われても、自部門のコストが一体いくらかかっているのかわからず、責任者は成果を出すことが非常に難しかったと思います。現在は、経営情報をすべてオープンにしているので、必要に応じて手を打つことができます。

当社では、事業の目的は社員の幸福を実現することであると繰り返し申し上げていますが、一方、企業の成果は、最終的にはお金で換算された数値で出てくるという厳粛な事実を受け入れねばなりません。これは成果の測定指標がお金であるということです。当社は社員の幸福実現が目標だから、その実現度を測定するためには、社員に「皆さん幸せですか?」と聞いて、その数を測定すればいいのではないかという見方もあるかもしれないですが、それはちょっと違います。人間というのは、その日の気分によって幸不幸が変化してしまったりするものであり、幸福度というのは、そう簡単に測れるものではないからです。企業としての成果をお金で換算した数値で示すために損益計算書というものがあります。

損益計算書profit and loss statement/PLとは、会社の一定期間の経営成績を表す決算書のことです。どの会社も年に1回本決算を行い、納税額を確定することが法律で義務付けられています。決算日は会社によって異なりますが、欧米では12月31日が大半です。日本では3月31日決算の会社が非常に多いのが特徴です。また、上場会社では本決算だけではなく、4半期(3か月)ごとの決算が義務付けられています。

管理会計的には、一定規模以上の会社では、月次決算をして、毎月の経営状況を把握しています。これを総まとめにして経理が年間の締めをします。3月末決算の会社だと、5月中に決算を確定させ、税金を払う計算をしたり、配当金を払ったりすることを進めていきます。
では最初に、損益計算書に何が書いてあるかを見てみましょう。

損益計算書の構造

簡単に言うと、損益計算書は「Revenue-Expense=損益」という構造になります。

会社の損益がどうなっているのかを簡単に表すと、最終的には上図の2行程度で終わってしまいます。しかし、それだと何がどうなっているのかが分かりません。そこで損益計算書では、下図のようにどの収益とどの費用を比較するかによって、段階的に利益を考えるのです。

1)粗利(売上総利益)売上高-売上原価=粗利(売上総利益)

粗利は売上高から売上原価を差し引いたものです。売上原価とは、モノを作る…たとえばペットボトルのお茶を作る場合の原価は、ペットボトルの容器にかかる費用や、お茶に使う茶葉、水にかかる費用のことです。

粗利というのは、経営をしていく上で非常に重要な利益です。粗利が赤字だということは、取引先にお金を渡しているようなものです。個人相手の商売だと慈善事業になってしまいます。

先ほども言いましたが、以前、当社は売上原価に相当する現場の社員の給与や交通費がどれぐらいあるかが分からない状態で利益を上げるよう求められていたため、現場の責任者は大変でした。一方で、数字を見せてもらえないことは、責任者が利益を出せないときの言い訳ができる状況でもあったのです。今はすべてオープンにしているので、利益を出せない人は、言い訳できないのです。赤字になるのは、仕事の仕方が上手ではないからではありませんか?ということになります。

利益を上げるためには、難しく考えることはありません。原価構造が分かれば、あとは売り値を設定する際に、原価をオーバーさせないということに知恵を絞れば、利益を出すことはできると思います。だから、この原価構造のところをしっかり把握しておくということは、非常に大事なことなのです。

また、当社のような業態では、たとえば見積書を見れば一人当たりの契約単価が分かるようになっているので、自分の単価と、自分の給料に差があると、損した気持ちになる人もいるかもしれませんが、この差は会社に対してとても貢献しているということです。この差額が大きければ大きいほど会社に貢献しているということです。

私は、銀行員時代、1年間に何億円も収益を上げたことがありました。当然お給料とのギャップは莫大でしたが、それを何とも思ったことはありませんでした。それは、その収益は自分だけの力で稼いでいるわけではないからです。組織の総合的な力で収益は上がるのであって、自分の力だけで上がるものではありません。しかし、時々そう勘違いする人がいて、そういう人は、それが気になって仕方がなくなり、もっとお給料を払ってくれるという会社から誘われたりすると、すぐ転職します。そういう生き方を否定するつもりはありませんが、利益というのは企業の総合的な力で上がるものだということは肝に銘じておいてください。私は、会社への貢献に応じて給料も上がっていくことがいいと思っていますので、当社の給与制度はそのような仕組みになっていると思います。

また、売り上げ(契約単価)と原価(個人の給料)の差額が大きい方が嬉しいと思う人は、お金儲けが上手な人だと思います。それが何となく申し訳ないと思うタイプの人は、あまりマネジメントには向いていない人だと思います。利益を上げることに対して、罪悪感を持ってしまう人です。お客様は機嫌よくお金を払ってくださっているのに、申し訳なく思ってしまうようなメンタリティの人は、あまり商売には向いていないかもしれません。そういう気質が良いとか悪いということではなく、一種の傾向性のようなものだと思ってください。

2)営業利益粗利(売上高-売上原価-販管費=営業利益

次に、売り上げを計上するためには、いろいろな経費がかかります。それをひっくるめて「販売管理費(販管費)」といいます。一般的には、営業のための様々な経費や広告宣伝費、通信費とか物流コストとか、製造業でいえば直接モノを作るのとは関係のないそれを販売するための経費のことです。粗利から販管費を差し引いたものが、企業が本業で得られる利益ということで、それを営業利益と言います。通常、営業利益がいくらだったかが、現場の責任者が一番問われるところです。

3)経常利益:営業利益+営業外収益-営業外費用=経常利益

一般的に、会社の利益という時には経常利益を指すことが多いです。経常利益は、営業利益に営業外損益を加減したものです。営業外収益とは、読んで字のごとく本業以外の儲けのことをいいます。代表的なものは金融収益です。これは一生懸命汗を流して働いたから増えるというものではありません。銀行の金利や、株価、外国為替がどうだったかというのが影響してくるところです。この本業以外の儲けを足して、営業外費用を引いた利益のことを経常利益と言います。営業外費用の代表は、支払った借入利息など金融コストです。

4)税引前当期利益経常利益+特別利益-特別損失=税引前当期利益

次に、一時的、一過性の特別な利益や損失を差し引きしたものが、「税引前当期利益」です。特別利益とは、たとえば、土地の売却益です。土地を売ることは滅多にあることではないため特別な利益となります。それ以外に、昨年の大雨のようなことで会社が災害に遭ったとき、いろいろなお金がかかってしまうと特損が発生しますし、それによって保険金が入ってきたりすると、特別利益となります。

5)当期利益税引前当期利益-税金=当期利益

税引前当期利益から税金を差し引いたものが「当期利益」といって、これが最後に計上する利益となります。このように、ひと言で「利益」と言いますが、何段階にも分かれています。今日お話した損益計算書の構造については、一般教養として皆さんには知っておいていただきたいと思います。

次に、利益とは何かを深く考えてみましょう。

 

3.利益とは何か

まず、利益について言えることは、単独で利益という存在があるわけではないということです。変な言い方ですが、利益というのは、それが単独で存在するわけではなく、計算して出てくるものだということです。

利益は差額概念であり、利益は「売上-費用」という公式から出てくる計算結果なのです。

そして、正しく利益を計算するには、

  • ・毎年同じ基準で売り上げを計上し、同じ基準で費用を計上せねばならなりません(継続性の原則)
  • ・会社の考え方(主観)によって計算の仕方が変えられるものについては、経営者自身が明確にその根拠を把握せねばなりません

これは、経理や公認会計士、税理士などのアドバイスを受けながら、経営者自身がきちんと考えていかないといけません。

 

売り上げの計上基準について

たとえば、売上高は、下の図のA、B、C、D、E、Fのどの段階で計上されるのでしょうか。

商売には、商談→受注→手付→納品→請求書発行→代金回収という流れがあります。この流れの中で、売り上げをいつ計上するか。考えたら、どの時点で売り上げを立ててもよいような気がしませんか。

会計の一般的なルールでは、納品の時に売り上げを計上するということになっています。ソフトウェアの場合は、検収の時が納品となるため、その際に売り上げを計上することになります。しかし、これからアジャイル開発が主流になっていくと、いつが完成・納品時期なのか分からなくなり、判断が難しくなるかもしれません。そのためにも、最初に契約をするときに、このような話を理解しておかないと、損益計算もできなくなります。

今、売り上げを計上するのは納品時だと言いましたが、では、いつが納品時なのでしょうか。

  • ・商品を自社工場から出荷した時?
  • ・それともお客様が受け取った時?
  • ・お客様が商品の品質等を確認した時?

このように、売り上げひとつとっても実に計上基準があいまいなので、現実問題としていろいろな不正というか粉飾が可能になってくることがあります。

たとえば、売り上げノルマの厳しい会社で、営業マンが正式契約もしていない口約束程度なのに売り上げを計上したり、子会社や下請け会社に無理やり押し込み販売をしたり、一時的に在庫を出荷して架空の売り上げを計上することなどもあります。このようなことを、本当にやっている会社があるのかと皆さん思うかもしれませんが、驚くほど多くの会社の立派な役職の方々が、自分の経営成績をよく見せようとしてこのようなことを真剣にやっているのです。いい大学を出た非常に頭のいい人たちが、そういう架空の数字づくりに優秀な頭脳を使っていることがよくあります。これは皮肉でも何でもありません。私の人生でそういうことをたくさん見てきたから言っているのです。

そういう意味では、実は、売り上げにも「いい売り上げ」と「悪い売り上げ」があるのです。
いい売り上げというのは、会社の成長に結び付く売り上げのことです。一番いいのは、「セリオに頼んでよかった」とお客様が満足し、WTPを感じてくださるような売り上げですが、たとえ、お叱りをいただくことがあっても、反省を促し、次の改善につながるようであればそれはいい売り上げになります。

悪い売り上げとは、結果的に会社を衰退に導く売り上げです。たとえば、経営理念や社是に顧客満足を掲げている会社でも、現場に降りてくる指示が「売り上げや利益の目標必達」ばかりだったりすると、現場の社員は「私の目標達成のために買ってください」などと言って、強引に押し付け、結果、顧客の感情を害し、買った後で「あそこからは二度と買わない」となってしまうことがあります。これは悪い売り上げの典型です。このように営業力が強いということは、お客様の満足度を高めるためのものであればいいのですが、自分の成績のために製品を押し込んでいくと、おかしなことになっていきます。ノルマを達成するための仕事や、社員がやりたくないと思っている仕事を数字合わせのためにさせてしまうと、それは悪い売り上げにつながってしまいます。ここは「人を大切にする経営」ができているかどうかの重要なチェックポイントにもなってきます。

また、似たような意味では、利益にも「ホンモノの利益」と「ニセモノの利益」があります。たとえば、利益ノルマの厳しい会社では、本来当期の費用で計上すべきものを先送りや後送りして利益が多く見せようとすることがありますが、これらはニセモノの利益です。数年前に林原という岡山の有名企業が倒産しましたが、この会社では、親会社と子会社の間で取引をすることによって架空の利益を計上していました。これを止めるように銀行に指摘されたのですが、全然言うことを聞かないので、業を煮やした銀行が融資を引き揚げたのです。

要するに、何が言いたいかというと、売り上げにせよ利益にせよ、損益計算書の数字は、経営者や現場の担当者が恣意的に操作(粉飾)できるものであるということです。

しかし表面的な数字を見ただけではわかりません。本当の意味でPLを読めるようになる(目利きになる)というのは、作った数字かどうかを見分けられるようになることなのです。それができるようになるには、膨大な決算書を見て、様々な事例を経験することが必要だと思います。

一番大切なことは、数字を作る経営サイドの人が正直にピュアな数字を計上することを心がけることです。また、決算処理の方法などで異常な処理方法が習慣化しているような会社では、何が正常か分からなくなっていることもあります。そういう会社では、厳しく過去の悪しき習慣を断ち切る勇気も必要です。この辺りが「人を大切にする経営」と会計が結びついてくるところです。

利益についてのドラッカー的考え方

最後に、これも一般教養的な話になりますが、経営学の親とも言うべきドラッカーは「利益」をどう定義しているかということをお話ししたいと思います。

ドラッカーは、『現代の経営』という著書の中で、

  • ・事業の目標として「利益」を強調することは事業の存続を危うくする
  • ・それは、今日の利益のために明日を犠牲にするからだ
  • ・売りやすい商品に力を入れ、明日のための商品をないがしろにする

と述べています。

このことについて原文では、下記のように書いてあります。

To emphasize only profit, for instance, misdirects managers to the point where they  may endanger the survival of the business.
To obtain profit today they tend to undermine the future.
They may push the most easily saleable product lines and slight those are the market of tomorrow.

最初の文章を直訳してみます。

To emphasize only profitは、単に利益をではなく「利益のみを強調すると」と言っています。また、for instance, misdirects managersは、「”マネージャー達を”間違った方向に導いてしまうことがある」と言っています。どこに導くかと言うと、 to the point where they may endanger the survival of the business.、「事業の存続を危険に陥れてしまうようなところにまで」ということです。

つまり、「利益だけを強調することは、マネージャーたちを事業の存続が危険になる領域まで導いて行ってしまう」というのが直訳です。これは、利益第一主義に対する厳しい警告です。

しかし、ドラッカーは、利益などどうでもいいと言っているわけでは決してありません。ある本では「いかなる大天使が経営者でも利益を無視したら経営はできないだろう」と言っています。神様であっても経営をするなら利益は無視できないよと言っているわけです。では、利益とは一体何なのでしょう。

利益について実に不思議な表現を使っているドラッカーの本があります。その本には「利益に関する基本的な事実は『そのようなものは存在しない』ということだ」と書いてあります。(『すでに起こった未来』第3章)これを最初に読んだとき、私はドラッカーが何を言いたいのかわかりませんでした。しかし、よく読むとこう書いてあったのです。「利益は存在しない。存在するのはコストのみである」。

つまり、利益というのは、企業が生き延びていくためにどうしても必要なコストだということです。違う表現では、

利益は、企業が継続する上での保険のようなものだと考えるべきだとも言っています。たとえば、この数年間、当社では大分収益が上がる体質になってきましたが、これは、保険であるというのです。利益という保険があるからリスクをとることが可能になるのだということです。利益が上がらない体質は、保険がかかっていない状態なので、一回の失敗でアウト(倒産)になってしまうので、新しいチャレンジもできません。ですから、業績が堅調に推移しているということ自体が良いことなのではなく、様々な企業家的チャレンジができるということが大事なのです。

以前から、当社の経営幹部には、利益とは、Going Concernのためのコストである、と話しています。そして、利益は、WTPを創造した結果得られるものでありGoing Concernのために不可欠ではあるが事業の目的ではないと言ってきました。これはドラッカー的に利益を解釈して言っていたことです。

 

4.計画5%実行95%

最後に、「計画5%実行95%」という話をしたいと思います。

今年は3か年計画の最終年に当たりますが、いくら立派な計画を作っても実行が伴わなければ意味がありません。実行するというのは、具体的には、成果を上げるための積極的な行動に時間を使う習慣を作ることです。もうすぐ決算報告があります。今期も前期より利益が増えたからよかったと満足することなく、その利益を自分たちの未来をつくっていくために使っていくことが大事です。今回の話を参考にして、「計画5%実行95%」を心掛けていただければと思います。

 

 

人を大切にする経営のための会計(1)

※このコラムは、毎月月初に、本社にて社員に向けてお話した内容を文章にしたものです。


経営計画などを立て、それなりにきちんとした経営をしている会社では、通常、毎月の経営会議で月次のPLを見て、「今月は売り上げが計画比未達だ」とか、「利益は計画比何%達成した。その理由は……」という報告をしています。

当社でも、幹部の方には毎月そういった報告をしてもらっていますが、そのような報告にあまり長い時間をかけたことはありません。また、記憶している限り、私は社長になってから一度も「何が何でも計画通り売り上げを達成せよ!」というような指示や命令を出したことはありません。もちろん、目標を達成できなかったという理由だけで厳しく叱責をしたり、降格をしたりしたこともありません。

なぜなら、計画を達成できれば、それは幹部や社員の皆さんの手柄であり、未達になり万一赤字になれば、それはすべて社長の責任であると考えているからです。これは、社長になってからそう考えるようになったわけではなく、中間管理職として部下を持って以来、私は常にそういう考えをしてきました。

自部署の業績が悪いのは、私のマーケティングが間違っていたせいかもしれませんし、部下をきちんと指導ができなかった私の責任だと思っていました。同様に、上司のせいにもしたことはありません。そういうメンタリティーで仕事をしてきたと思います。

売り上げと利益という二つの指標は、定量化しやすく、とても管理しやすいので、特に営業部門などではこれらを主要な指標として管理することが一般的であると思います。「なぜ達成できない!?」「どうやって、いつまでに達成するのだ!?」という感じで部下を問い詰めることが上司としての仕事の中心になっている会社はたくさんあります。私も経験がありますが、数字で追い込まれるのはとても辛いものですが、そういう厳しい目標をクリアして出世したような人は、それが成功体験になっていて、自分が部下を持った時に同じようなことをしてしまうのです。そういう管理の仕方を一方的に悪いことだと言うつもりはありませんが、問題なのは、売り上げや利益が目的化する傾向が強いことです。そもそも売り上げや利益を上げる目的は何だったのか、その目的がわからなくなることが多いのです。「顧客第一」を社是や社訓で掲げているような会社でも、お客様を大切にするという目的が、売り上げを上げるための手段にすり替わってしまうことがあります。そうなると、目先の売り上げ目標を達成するために、本来大切にするべきお客様のことを無視したり、部下に過度な圧力を加えたり、長年積み上げてきた信用を捨てたり、守らねばならないルールを無視したりすることが起こりやすくなります。

昨年、朝倉祐介さんの著書『ファイナンス脳』という本で、目先の売り上げや利益を最大化することを目的視する短絡的な思考態度のことを「PL脳」と名付けて、この「PL脳」に侵された経営が日本企業を蝕んでいると指摘しました。確かに、PL脳的な発想で経営判断をしている経営者が非常に多いのが実情ではないでしょうか。

しかし、私はPL脳的な発想になりません。なぜなら、私が財務のプロ(専門家)であって、この本に書いてあるような「ファイナンス思考」の考え方が染みついているからです。

財務のプロなどと偉そうな言い方をしましたが、当社のような従業員2~300人程度の会社には、普通財務のプロは存在しません。財務のプロを必要とするのは、財務戦略を考える必要のある相当大きな会社だけです。ですから、小さな会社では、経営者自身が財務の勉強をして会社を経営せねばならないのです。

財務の勉強とは、適正なお金の使い方を学ぶことです。しかし、ほとんどの経営者がPLにしか興味がありません。ところが、私が知っている限り、お金がどう使われたかは損益計算書(PL)のどこにも書かれてはいません。いくら使ったかという金額は書かれていても、それが経営理念を実現するために有効に使われたのか、新たなキャッシュを生むために有効に使われたのか、それとも無駄に使われたのかはわからないのです。現場を知り抜いている方であれば損益計算書を見るだけで、その中身が適正か無駄か見抜けるのかもしれませんが、PLばかり見ている経営者や管理部門の人にはわからないのです。そういう経営者ほど、意味のない予算管理をしたがります。やたらと予算達成にこだわり、目先の利益に一喜一憂し、予想外に利益が出ると大盤振る舞いをし、想定外に利益が落ち込むと必要なコストまで削って目先の利益を確保する傾向があるように思います。

多いのは、利益が未達になると、やたらとコストをカットする経営者ではないかと思います。これの何が問題かと言うと、キャッシュを生まないお金だけをカットするのではなく、本当は必要なコストまでカットする動きが出てくるからです。その典型が、「経費は〇%一律カット」などというまったくナンセンスな指示でしょう。一生懸命会計の勉強をした方でも間違った会計を学ぶとそういうことをすることもあります。これも私がよく言う努力逆転の典型なので気を付けてください。

大盤振る舞いするタイプの方は、とにかく税金を払うのが嫌で仕方がない方か、「幸福になるための努力」で幸福三説の話をしましたが、一つ目の「惜福(福をためること)」ができないタイプであると思います。そういう方は、見栄っ張りな性格であるように思います。

ウソのようなことですが、多くの中小企業では、経営者の「勘」や「運」、「意地」や「見栄」、「思いつき」や「好み」で会社のお金が使われています。若いころ、勘や運に頼った判断で成功した方は、「自分のカンピューターが一番信頼できる」などと言ってその後も客観的な判断をしなくなることもあります。織田信長が桶狭間で今川を奇襲した作戦などは、苦境を脱出するために勘に頼った判断の面も大きかったと思いますし、運が味方したことも事実でしょうが、信長の偉いところは、その後は勘や運に頼らず、徹底的に確率を重視した戦いをしていることです。

人を大切にする経営学会に加盟しているような会社の経営者は、謙虚なので「自分が成功したのは運が良かっただけです」などと言う方がいらっしゃいますが、ここで私が言う運は、本当に一か八かサイコロを振って経営判断をするようなことです。

また、意地にこだわる方もいます。信念を貫くという意味ならよいのですが、経営者の見栄やプライドだけでお金を使うこともあります。

思いつき型で多いのは、研修会に行ったり、成功している会社を見学したり、本を読んだりして、その会社でやっていることを自社に導入する場合です。十分検討もせずに「あの会社もやっていたからやろう!」と、ほとんど思いつきに近いかたちで指示をするケースが多いように思います。

オーナー企業などでは、経営者の好みだけでお金を使うこともあります。人間がやっている以上、やはり経営者の傾向性としての好みは出ますが、「自分の稼いだ金を何に使おうが自分の勝手だ」というような極端なお金の使い方をしていると、反作用が起きることが多いように思います。やはり「企業は公器」であり、節度が大事であって、本業に影響を与えるようなお金を経営者の趣味のためだけ使ってはいけないと思います。小さな会社では、そういう公私混同はいたるところにあります。経営者には色々なストレスがあるので、それを全部チェックすることは精神的に持たないところもあると思いますが、自分の見栄とか意地で使ってしまうことを正当化する習慣は避けた方がよいと思います。

ということで、今回から数回、会計の話をします。こういう話は、経営幹部や経理部門の人だけに話せばよい内容かもしれませんが、今年は新長期計画策定の年でもありますので、社員の皆さんも社長は財務的な視点でどういう経営しているのかということを知っていただく良い機会だと思います。また、業務上会計的な知識が必要になることもあると思いますので、何か参考になることもあると思います。

内容は、簿記会計的な話ではありません。世の中に出ている経理的な本の内容とは違うかもしれませんが、社員の幸福を実現するという経営理念を実現するために、財務の最高責任者として、私は会計に対してこう考えて経営を実践してきたし、これからもしていくつもりですという内容です。40数年間、財務のプロとして、様々な大企業、中小企業等で財務戦略を立案し実践し成果を検証してきたことを前提とした話でもあります。

 

1.「会計」の定義について

「会計」は事業活動を「見える化」する機能を持っています

経営者は、会社のお金を預かる立場にあることから、その収支状況を「見える化」して、国や株主などの関係者に説明するよう法律で決められています。

まずは、国に税金を納めるため、決算書(年次決算)を作成します。企業は世の中のインフラを使う立場上、税金を納める義務があります。そのために、決算書を提出し税金を納めなければいけません。これをきちんと行うのが経理部門です。そういう意味で経理部門がきちっとしていないと会社は成り立たないのです。

上場企業は、株主配当のため、有価証券報告書(四半期決算)を作成し提出しなければいけません。ご存知の通り、日産のゴーン会長が有価証券報告書に記載すべきことをしていなかったという理由で逮捕されましたが、そのくらい厳しい義務だということです。

そういった公的な目的もありますが、何より大切な「見える化」の目的は、経営の役に立てるためであり、経営に役に立つという意味で、最も重要な役割は、会社を潰さないことです(Going Concern)

いきなりですが、ちょっと考えてみてください。

どうしたら会社は倒産するのでしょうか?

赤字になるからでしょうか?法律に違反するからでしょうか?

実は、最終的な原因はひとつしかありません。

それは、資金ショートです。
私の勝手な分類ですが、資金がショートするのは赤字だけではなく、いくつかのパターンがあると思います。

1)急成長・急拡大に伴う資金ショート

第一に、企業の業績が急成長、急拡大した時です。ウソのような話ですが、黒字倒産はかなりの確率で起こります。売り上げを倍増しようと、社員をどんどん採用したり、営業拠点を全国展開したり、工場を増設したりしてお金が回らなくなるのです。

特に、経営者がPL脳に侵され、売り上げ至上主義に陥ると非常に危険です。なぜなら、売り上げをよく見えるようにするための数字づくりが日常化してしまうからです。押し込み販売や在庫調整など、本当は売り上げではないものを売り上げに計上したり、関係会社とキャッチボールをして売り上げを水増ししたりすることです。

また、実際の戦争などでも時々あることですが、戦線の拡張に補給体制(兵站)が追い付かないこともあります。本来、計画的に補給も用意してから戦線を伸ばすべきなのに、急成長することで補給が追いつかず、結果社員の酷使に繋がることもあります。業務拡大に伴い、キャパを超えて疲弊感でいっぱいになった社員が、離脱したり、手抜きや不正をしてでも成果をあげようとしたりするのでコンプライアンス違反も起きやすくなり、様々なほころびが出てきます。最近では、内部告発などによってそういったほころびがマスコミに報道され、それを問題視した銀行が資金の供給を止めるとあっという間に資金ショートしてしまうケースが散見されます。

2)急激な業績悪化による資金ショート

二番目に書きましたが、これは、一番典型的なパターンで皆さんもよくわかると思います。これもPL脳に侵された経営拡大策の破たんや無理な価格競争から生じることが多いと思います。デフレの影響もありますし、経済のグローバル化が進んで、大きな価格変動が起きやすいため、資金不足になる会社も増えています。

3)経営者が信用を失ったとき

上記とも連動しますが、経営者が異常な公私混同や、パワハラ、セクハラ、コンプライアンス違反等によって社会的信用を失い、取引先が取引を止めたり、銀行が資金供給を停止したりすると資金ショートが発生します。

4)天変地異や事故(トップの急死)等の突発事態が起きたとき

これは避けられないことでもありますが、一方で、そうしたリスクに備えて資金的にも備蓄し、後継者を育てておくなど、対策ができることでもあります。しかし、突発的なことにはなかなか対応できないことでもあり、資金ショートにつながることもあります。

 

会社を潰さないための財務会計

このように、いろいろな理由で資金ショートすることがあることを知り、財務的な備えをしておくことが大事です。以前の勤務先では、私が財務経理の責任者をしていた時に一時的に大赤字になったことがありましたが、その後は経営を立て直し、現在も隆々と経営を続けています。その時に、何とかお金さえ回れば、たとえ赤字になっても会社は潰れないことを、身をもって体験しました。極端なことを言えば、不渡りさえ起こさなければ何とかなるのです。だから当社でも絶対に手形や小切手は切りません。現金決済であれば、最悪、支払い期限を延ばしたり、リスケジュールしてもらったりすることで大丈夫なこともあります。しかし、手形や小切手を使っていると、2回目の不渡りで即刻アウトだからです。

しつこいようですが、赤字になると倒産すると思う人が多いのですが、赤字になってもすぐに会社は潰れません。しかし、払うべきお金が払えなくなると本当にあっという間に会社は潰れるのです。

したがって、会計の一番大切な役割は、資金の運用・調達のための会計です。この資金調達のための会計を財務会計(Financial Accounting)と言います。

これは、経営の最高責任者が学ばねばならない会計知識です。財務的な最終判断は、大きな会社では財務責任者CFOが担当しますが、小さな会社では社長自身か信頼できる家族が担当しているのが普通です。

ちなみに当社のCFOは私ですが、ほとんどの会社の社長は財務会計のプロではありません。多くの社長が税理士さんに相談したりしながら、先ほども申し上げた通り、かなり「勘」や「運」に頼ってやっています。その人の気分や性格が出やすいのがこの財務のところなのであり、結果的に会社を潰す原因を作るのも財務会計のところなのです。

 

会社を潰さないための管理会計

経営に役に立つという意味で、最も重要な役割は、会社を潰さない(Going Concern)ことで、そのためには、財務会計も大切ですが、経営者や実際に現場を取り仕切る経営幹部が、正確に経営実態を把握し、正しい経営判断をするための会計も非常に重要です。この経営判断をするための会計、つまり現場の経営に必要な情報を提供するための会計を管理会計(Managerial Accounting)と言います。これが、経営幹部が学ばねばならない会計知識です。

具体的には、財務三表(BS、PL、CF)や月次管理資料などを使って、業績を上げることです。そのためには、一時的な数字の上下に一喜一憂することなく、決算書を通じて経営の真実(実態)を見抜く知恵を身に着ける(学ぶ)ことが重要です。

会計は、ビジネスの実態を映し出す鏡の役割を持っています。しかし、財務三表などの決算書は、様々な理由で必ずしも会社の実態を正確に反映しているわけではありません。この鏡は経営者の心を映し出す鏡にもなります。経営者の心が曇っているとこの鏡は曇るのです。

したがって、他社の決算書を見るときには、決算書上の数字を鵜呑みにせず、決算書を読み解くことによって、経営の真実(実態)を見抜く知恵を身に着ける(学ぶ)必要があるのです。その第一歩が、財務三表の構成や内容を知り、その目的を理解しておくことです。

次回以降は、そのための基礎中の基礎の話をします。

主に、

  • ・財務三表(BS、PL、CF)の内容とその見方について
  • ・基本的な財務戦略について(あり方論)

という内容になります。

 

 

幸福になるための努力(2)

※このコラムの内容は、毎月1回月初に、本社朝礼でお話した内容を掲載していますが、最後に時間が無くなってしまった関係で、今回は一部加筆した内容があることをお断りしておきます。


論点2.「分福(ぶんぷく)」の努力

前回に引き続き、幸田露伴の『努力論』より幸福三説について、原文の一部を抜粋し、解説する形式でご紹介したいと思います。

「分福」とはどういうことであるかというに、自己の得るところの福を他人に分ち与えることをいうのである。たとへば自己が大なる西瓜を得たとすると、その全果を飽食し尽すことをせずして、その幾分を残し溜むるのは「惜福」である。その幾分を他人に分ち与えて自己と共にその美を味わうの幸を得せしむるのは「分福」である。

幸福になるための考え方の2番目は、「分福」という考え方です。これは読んで字のごとく、自分が得た福を他の人にも分けてあげることです。原文の例えにあるように、大きなスイカをもらったとして、欲張って全部食べてしまわないで、いくらかは残しておくことが、惜福です。一方、自分一人で食べないで、他の人におすそ分けして一緒においしさを味わうことが、分福ということです。

「惜福」は自己の福を取り尽くさず用ひ尽くさざるを言い、「分福」は自己の福を他人に分ち加えるを言うので、二者は実に相異なり、又互に表裏をなしているのである。
ただ、眼前の観から言えば、「惜福」は自己の幸福を十分に獲得捕捉せずして、その幾分を未来に委ねて、預け置き積み置くことを言い、「分福」は自己の幸福を十分に使用享受せずして、其の幾分を直に他人に分かち与えることを言うのであるから、自己の幸福を自己が十分に享受し使用せぬところは二者全く相同じであつて、そして双方共に自己にとっては、差し当たり利益を減損し、不利益を受けているやうなものである。

露伴は、惜福と分福を比較して、惜福は自分の福を使いきらずに残しておくこと。分福は、自分の持っている福を他の人にも分けてしまうこと。だから、両者は真逆の考え方であると言っています。

しかし、両者には共通点があるとも言っています。それは、自分の幸福を自分一人で使い尽くさないという点だということです。惜福は、自分が得た幸福を全部使ってしまわないで、将来のためにとっておこうという考えで、分福は、自分が得た幸福をいくらかでも他の人に分けてあげようという考えだから、両者とも、自分がすぐに使える利益を使わない、という点で一緒だ。まるで損をしているようなところが一緒なのだということです。

ここに一商店の主人ありと仮定するに、その主人の商利を得るや、必ずこれを使用人等に分かつとすれば、使用人等は、主人の福利を得るは、即ち自己等の福利を得ることとなるを以て、勉励して業務に順ひ、力めて主人をして利を得せしめんとすべきは、論無きことである。
これに反し、主人もし商利を得るも、唯自己の懐中をのみ膨大せしめて、使用人等に対して何等分福の挙に出でずとすれば、その使用人等は、労力相当の報酬を得るの約あるを以て、何等不平不満を抱かざるにせよ、主人の利不利は自己に痛痒少きをもって、自ずからにして福利を得しめんとするの念淡く、終に主人をして福利を得るの事実と機会とを逸去せしむること多きに至るべき勢が生ずるのである。

分福の例として、露伴は商売繁盛のコツを話しています。それは、利益を経営者が独り占めにしないで社員に還元することだということです。経営者が、儲けを社員に分け与えれば、会社が儲かり社員も儲かることになるので、社員もより一層頑張るだろう。しかしもし、経営者が利益を独り占めにして、社員に全く還元しなかったら、社員は自分の給料以上には働こうとしないだろうと言っています。これはまさに「人を大切にする経営学」ですね!

「経営者は、社員が自分達は会社から大切にされていると実感する経営をトコトン行わねばならない」と坂本先生はおっしゃいますが、これは露伴が言っている分福の考え方そのものだと思います。

より業績を高めようとすれば、まず、社員を大事にするべきなのです。顧客満足(WTPの創造)は大事なわけですが、顧客が喉から手が出るほど欲しい商品を創造するのも、顧客が感動しファン化するような価値あるサービスの提供するのも社員だからです。社員は経営における最大の経営資源であり、人財なのです。

ところが、多くの経営者が正反対のことをしています。その場合、経営の目的は利益の追求だと思い、社員を原材料やコスト原材料のように考え、業績が悪くなるとリストラして切り捨ててしまうわけですが、そんな待遇をされた社員がどうして顧客満足などという面倒くさいことをしたがるものかと思います。この考えは本当に重要で、私も決して間違えないように心したいと思います。当社では、近い将来にMEBOを実現して、役員だけでなく社員にも株を持ってもらうようにしたいと思っていますが、そうなれば配当をすることで、株主である社員にも還元できるようになります。これは、非常に理想的な経営のあり方だと思っています。

また、当社ではたくさんの協力会社の方が、社員と一緒に仕事をしてくださっていますが、分福の考え方からすると、当社が福を得たなら、協力会社の方にもその福をお分けすることを考えることも非常に重要でしょう。それは、報酬的なことかもしれませんし、業務環境を改善したり、教育の機会を提供したりすることかもしれません。レクリエーションなどの機会を提供することかもしれません。さらに、まだまだできていませんが、地域社会の方々など自社以外のいろいろな人に福を分け与えることを考えることで、会社は一層発展繁栄するのだと思います。

力は衆の力を併せた力より多い力は無く、智は人の智を使うより大なる智は無いでは無いか。大なる福を得んとするものは、必ず能く人に福を分つて、自ら独り福を専らにせず、衆人をして我が福を得んことを希わしむるのである。即ち我が福を分つて衆人に与え、而して衆人の力に依つて得たる福を、我が福とするのである。分福の工夫の欠けたる人の如きは、いまだ大なる福を致すには足らざるものである。

会社の力は、多くの人の力を合わせることで大きくなり、知恵を集めることで一層大きな知恵になるのだ。自分一人だけでつかむ福は大きくならないが、たくさんの力と知恵が集まれば、福も大きくなるのだ。だからこそ、自分の得た福を他の人に分け与える分福が大事なのだ、ということです。当社では、経営理念として社員の幸福を実現すると掲げていますが、常に社員とその家族、協力会社の方々とそのご家族の幸福を増やそうとすればするほど、大きな福が得られることになるというわけです。

論点3.「植福(しょくふく)」の努力

惜福、分福、いづれも皆好い事であるが、其等に優って卓越している好い事は「植福」という事である。「植福」とは何であるかというに、わが力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や、清趣や、智識を寄与することをいうのである。即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を「植福」というのである。

最後に、惜福や分福もよいことですが、それよりもずっとよいこととして「植福」という考え方が述べられています。植福とは何かというと、自分の力や知恵を差し出し、世の中をよくしていこうとすることだと言っています。

植福には、CSR的な企業の社会貢献やボランティア活動という意味もありますし、R&D的な未来への投資と考えてもよいと思います。大切なのはその方向性で、会社として提供する価値が世のため、人のためになっているかということです。広義の意味では、私がWTPと言っている内容には、植福的な意味合いも入っているのです。

世に福を有せんことを希ふ人は甚だ多い。しかし福を有する人は少い。福を得て福を惜むことを知る人は少い。福を惜むことを知つても福を分つことを知る人は少い。福を分つことを知つても福を植うることを知る人は少い。しかし稲を得んとすれば、稲を植うるに若くは無い。葡萄を得んとすれば、葡萄を植うるに若くは無い。この道理を以て、福を得んとすれば福を植うるに若くは無い。しかるに人多くは福を植うるを以て迂闊の事として顧みない傾があるのは甚だ遺憾の事である。

最後にまとめのようなことが書かれています。世の中に幸福になりたいと思っている人はたくさんいるが、実際に幸福を手にする人は少ない。幸福を手にしても、その福を惜しむ人はもっと少なく、福を惜しんでも福を分けることを知っている人はもっと少ない。さらに、福を分けることのできる人も福を植えることの大切さを知っている人はもっともっと少ない。しかし、考えてみなさい。稲を収穫しようとしたら稲を植えるし、ブドウを収穫しようとしたらブドウを植えるではないか。だとすれば、福を手に入れたいなら福を植えるしかないではないか。なのになぜ、福を植えることを遠回りだと考えるのか、そういう人が多いことはとても残念だと言っています。

今日の吾人は古代に比し、大なる幸福を有している。これは皆前人の植福の結果である。即ち好き林檎の樹を有して居るものは、よき林檎の樹を植えた人の恵みを荷うているのである。既に前人の植福の庇陰に依る吾人もまた植福のことをなして子孫に贈らざる可からずである。真の文明ということは、凡て或人々が福を植えた結果なのである。災禍ということは、凡て人々が福を損なった結果なのである。

私たちが、昔の人たちよりも快適な生活ができるのは、先人たちが植福をしてくれたおかげである。であるならば、未来の子孫のために植福をするのは当たり前のことではないかということでしょう。本当の文明というのはすべて過去の人たちが植福してくれた結果である。逆に災いが生まれるのは、その福を損なったからである、と言っています。まぁ、いろいろと環境問題とかありますが、そういうことでしょうし、会社でも自分たちだけがよければよいという発想で経営をするのではなく、未来の社員のために何ができるかという発想で種まきをしていくことが大事だと思います。

論点4.「幸福三説」についての個人的見解

以上、論点3までが幸福三説のエッセンスです。ここまでの話は、何が言いたいのか、なかなかわからない話だろうな、と思いつつもあえて話をしました。なぜそう思うかというと、私自身、この幸福三説の考え方を知ってから、その本質がそれなりに腑に落ちて、まがりなりにも実践できるようになったと思えるまでには、20年くらい時間がかかったからです。最初は書いてあることの意味はわかっても、実践ができませんでした。露伴の『努力論』は難しいと言われますが、それは、文体の難しさ、内容の難しさもあるのですが、何よりも書いてある考え方の実践が難しいのだと思います。なぜなら、これを実践しても幸福になる気がしないからです。

たとえば、いざ惜福を実践しようと思うと、「自分で手に入れた幸福なのだから、どう使おうが自分の自由じゃないか。パッと使って何が悪い」と、つい思ってしまいます。分福に対しては「せっかく苦労して手に入れた幸福を他の人に分けてやるなんてばかげたことだ。世の中は厳しいのだから、他の人から奪ってでも幸福になるのが賢いことではないのか」という気持ちが心の中からむくむくと出てきます。植福についても、頭では「世のため人のために福を植えることは、それは立派なことだ」と思いつつ、特に金銭的なことについては執着心が生まれます。実践といっても、最初はせいぜい赤い羽根募金程度のことしかできず、「税金をきちんと払っているわけだし、分福も植福も自分の子供のためなら理解できるけど、それ以上のことはお金が使えないくらい貯まったお金持ちがすればよいことで、自分が生きることで大変な人間は、惜福的に貯金するのが精いっぱいだ」という感じになります。

逆に、以前ご紹介したことのある「マズローの欲求五段階説」はとても分かりやすく、受け入れやすいのです。最初は、生きていくための欲求が強いですが、それが満たされると、少しでも安定したいという欲求が出てきます。次には、人並みの生活がしたいという欲求が芽生えてくる。そして、それが満たされると、もっともっと裕福になりたいと思う。このような考え方は、非常に受け入れやすく、目標にもしやすく、実践もしやすいのです。

しかし、露伴はそういう人間の性(さが)を知り抜いた上で、そういう動物的というか本能的な欲求を抑制し、欲望に逆らって生きることがより大きな幸福をつかむためには必要なのだ。いやむしろ「欲望をコントロールできる」ことの中に本当の幸福があるのだと言っているのではないかということに気が付きました。

要するに、これはある意味 、人間の本能に反する行為なのです。ちょっと極端な言い方をすれば、自然界の法則に逆らった生き方の勧めのようなものです。私には、露伴の幸福三説が、マズローの言っている、欲求五段階の最上段階、自己実現欲求のさらにずっと先のことを言っているように思えました。

それに気が付いたのは、人生の転機の時でした。私の大きな転機は、40代半ばで完全失業した時です。それまでの数十年、必死に努力し、それなりに成功もし、順調に生きてきたと思っていたのですが、仕事も社会的な地位もすべて失ったときに、露伴の努力論に書かれていることの意味が理解できるようになりました。

まず、自分に欠けていたのは、間接的な努力と方向性だったということに気が付きました。そこでこう考えたのです。「今、失業して、直接的に仕事を見つける努力をしてもきっと自分が望んでいるような成功には結びつかない。ここは意を決して間接的な努力をする習慣を身につけよう」と決意し、幸い1年くらいは生活できる貯えがあったので、一切求職活動はせずに、毎日十数時間、さまざまなジャンルの勉強をしたのです。結局、この時に勉強の習慣が確立できたおかげで、こんなに人前で話もできるようになったのです。そして、方向性としては、これから始まる後半の人生は、個人においては惜福、分福を心がけ、もし幸運にもリーダーとしての役割が与えられることがあれば、自分のために生きるのではなく、未来に向けて植福の人生を生きようと心の底から決意できたのです。

まことに不思議なことですが、勉強に打ち込み始めてちょうど1年くらいして、突然知人から「株式公開を目指しているベンチャー企業があるが、そこの作戦参謀的な仕事をしてみないか」という誘いが舞い込んできました。今でも、ふと思うのですが、もし失業してすぐにその仕事についても、きっと満足のいく成果は出せなかったと思います。しかし、1年間の蓄積があったおかげで、新しい仕事にも十分耐えることができました。その後、当社とご縁ができて、全く予期せぬことでしたが、社長になりました。実は一貫して貫いているのは「幸福三説」の考え方なのです。

露伴は、幸福三説を締めくくるにあたり、こんなことを言っています。

徳を積むのは人類の今日の幸福の源泉になっている。真の智識を積むのもまた人類の今日の幸福の源泉になっている。徳を積み智を積むことは、即ち大なる植福をうる所以であつて、樹を植えて福恵を来者に贈るがごとき比では無い。植福なる哉、植福なる哉、植福の工夫を能くするに於て始めて人は価値ありと云ふ可しである。

徳を積み、智慧を積むことが幸福の源泉である。そういう植福は未来の子孫のために木を植えることなどとは比べようもないくらい素晴らしいことだ。そう、植福が大事なのだ。植福をするかどうかで人の価値は決まるのだ。

「有福」は祖先の庇陰に寄るので、尊む可きところは無い。
「惜福」の工夫あるに至つて、人やや尊ぶ可しである。
「分福」の工夫を能くするに至つて、人愈尊ぶ可しである。
能く福を植うるに至つて、人眞に敬愛すべき人たりと云ふ可しである。
福を有する人は或は福を失ふことあらん。
福を惜む人はけだし福を保つを得ん。
能く福を分つ人はけだし福を致すを得ん。
福を植うる人に至つては即ち福を造るのである。

「裕福」は祖先のおかげであって評価すべきところはない。
「惜福」の工夫がある人は少し尊敬できる。
「分福」の考え方が実践できる人は、もう少し尊敬できる。
「植福」を実践できる人こそ、本当に尊敬できる人なのである。
「裕福」の人は、もしかすると福を失うこともあるだろう。
「惜福」の人は、福を維持することができるかもしれない。
「分福」の人は、より大きな福を招くことができるだろう。
「植福」の人だけが、新しい幸福を創造することができるのだ。

というわけで、次の3カ年計画では、未来に向けて植福的な考え方を大切にしていきたいと思います。社員の皆さんには、まずは惜福に心がけ、間接的な努力も怠らないようにしていただきたいと思います。リーダーの方々は、分福の実践を目指していただきたいと思います。この考え方は、人を大切にする経営ともリンクしている考え方であるのでご紹介しました。何か参考になれば幸いです。

 

 

幸福になるための努力(1)

※このコラムは、毎月1回月初に、本社にて、社員に向けてお話した内容を文章にしたものです。


年始ということで、お正月にちなんで幸福の話をしたいのですが、2018年のお正月に山陽新聞の「私のほうふ」というコラムに「良樹細根」という題で次のような文章を掲載していただきました。


企業経営においても、人生においても、努力することが大切ですが、努力には二通りの努力があると思います。ひとつは、短期的な成果に直結する「直接的な努力」であり、もうひとつは、直ぐに効果は表れませんが、長期的には大きな違いとなって表れてくる「間接的な努力」です。

良い樹は、必ず地中に細かい根が深く広く張っているものです。そして、根が丈夫であれば、樹は自然に成長するのです。末永く樹を成長させようと思うなら、樹を伸ばすための「直接的な努力」だけではなく、根を深く、広く張るための「間接的な努力」を地道に続けるべきだと思います。
(後略)


サラッと「直接的な努力」と「間接な努力」という表現を使っていますが、あまり聞きなれない表現だと思います。そこで、「幸福になるための努力」というテーマで、二つの努力のネタ本である幸田露伴の『努力論』を紹介したいと思います。

幸田露伴は、1867年(慶応3年7月23日)に、江戸下谷(現在の東京都台東区)に生まれました。1883年(明治16)に父の勧めで給費生として電信修技学校に入学、翌年卒業後の実習を経て、1885年(明治18)北海道の余市に電信技手として赴任しました。
1887年(明治20)に職を辞して帰京、父の店に勤めつつ文学を志します。『五重塔』 (1891~92年)で作家としての地位を確立し、写実の紅葉(尾崎紅葉)、理想主義の露伴と並び称され、「紅露時代」と呼ばれるまでになりました。夏目漱石や森鷗外と並び称せられる明治の大文豪であり、慶應義塾塾長の小泉信三をして百年に一人の頭脳とまで言わしめた知的巨人です。

この『努力論』というのは、どんな意図で書かれたかというと、幸田露伴は、天災や病気、事業の失敗や失業、貧困など、悲惨な運命としか思えないような要因によって、悩んだり、苦しんだりしている多くの人に対して、考え方次第で、人は運命を変えられることを伝えようとしたのだと思います。

『努力論』という題にしたのは、「どうすれば人は必ず幸福になれるか」という「やり方」ではなく、「どういう心がけで生きれば、理不尽なことが多い世にあっても力強く積極的に生きられるか」という「考え方」を説いたからです。『努力論』という題になっていますが、内容は「幸福のつかみ方」そのものであると思います。

そのたくさんある論点の中から、中心的な論点であり、個人的にも大変大きな影響を受けた二つの論点についてお話したいと思います。

一つ目は、二種類の努力という考え方であり、二つ目は、幸福三説という考え方です。

日本語で書かれた本ですが、漢文の書き下し文のような表現なので、皆さんはストレートには理解できないと思います。以前、英語の原文を約しながら本を紹介したことがありますが、漢文調の文章を現代語に翻訳しながらの説明になります。

 

1.二種類の努力 (幸田露伴著『努力論』まえがき)

まえがきには、この本の中心概念ともいうべき「努力の正しいあり方」が書かれています。

論点1.二種類の努力を忘れてはいけない

努力は一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は「直接の努力」で、他の一は「間接の努力」である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽(じん)心(しん)竭力(けつりょく)の時のそれである。

まえがきには、努力と成功の因果関係について書かれているのですが、まず、努力には2種類の努力があると言っています。一つは「直接の努力」、もう一つは「間接の努力」です。「直接の努力」というのは、当面の努力です。尽(じん)心(しん)竭力(けつりょく)という難しい表現で書かれています。要するに、ぶら下げられたニンジンに向かって、馬が必死に走るような感じの努力です。普通、努力というとこういう試験勉強のための一夜漬けの努力みたいなものが思い浮ぶわけですが、他にも「間接の努力」というのもあるのだと言っています。それは、準備のため努力で、基礎になり源泉になるものです。

論点2.努力は人間の本能である

人はやゝもすれば努力の無効に終ることを訴へて嗟歎するもある。然れど努力は功の有と無とによつて、これを敢てすべきや否やを判ずべきでは無い。努力ということが人の進んで止むことを知らぬ性の本然であるから努力す可きなのである。

人は、努力したのによい結果が出ないと嘆くことがある、と言っています。これはよくありますね。一生懸命に試験勉強をしたのに不合格だったりすると、落ち込んだり、なんか無駄な努力をしたんじゃないかと後悔したりすることです。これに対して、露伴は、努力は結果が出るとか出ないで、やるか、やらないかを決めるようなものではないと言っています。これはすごいです。努力は、人間が自発的に始めるものであって、本能みたいなもの、だから、努力をやるか、やらないかという選択肢はないのだと言っています。

論点3.努力しても成果が上がらない場合の二つの理由

そして若干の努力が若干の果を生ずべき理は、おのづからにして存して居るのである。ただ時あつて努力の生ずる果が佳良ならざることもある。それは努力の方向が悪いからであるか、然らざれば間接の努力が欠けて、直接の努力のみが用ひらるる為である。無理な願望に努力するのは努力の方向の悪いので、無理ならぬ願望に努力して、そして甲斐の無いのは、間接の努力が欠けているからだらう。

次に、努力してもよい結果が出るときと出ないときの因果関係が書かれています。努力すれば何らかの結果がでるが、それが自分の望んでいた結果とは違うこともある。その理由には二つあって、一つは、努力の方向が悪いから。ベクトルが違うのです。もう一つは、直接の努力しかしないからで、間接の努力が欠けているからだと言っています。

サッカーやテニスで日本人が世界で活躍している昨今ですが、直接的な努力というのは技を磨く努力でしょう。しかし、それだけでは優勝できないのです。メンタルトレーニングなどもそうでしょうし、スポーツの強豪校のように、たくさん部員がいて試合には出られず、裏方として練習などでもムードメーカに回り、チームのムードをよくする努力をしている人もいます。そういう風に、試合に出て点を取るための直接的な努力を積み重ねている選手以外にも、間接的な努力をしている選手の支えがあり、それぞれが自分なりにチームに貢献しようとして強いチームとなっているのです。

また、もし努力をしても成果が上がらない時には、長期的な視点で、自分が向かっている方向性やベクトルが間違っていないかを考えてみてください。ドラマや映画にもなった『下町ロケット』などは大変わかりやすいのですが、佃製作所も敵役の会社も、両方努力はするのですが、ベクトルが全く逆なんですね。片方は、困っている農家を助けたいという方向性で、もう一方は自分の出世のためだったり、復讐のためだったりするのです。当社が、経営理念の大切さを言っているのもここに理由があります。組織も個人も、努力の方向性を間違えると「努力逆転の法則」にハマります。努力すればするほど大きな落とし穴にはまることがあるので注意してください。

論点4.努力感があるうちはまだ本当の努力ではない

努力は好い。しかし人が努力するということは、人としてはなお不純である。自己に服せざるものがどこかに存するのを感じていて、そして鉄鞭を以て之を威圧しながら事に従うているの景象がある。
努力して居る、若くは努力せんとして居る、ということを忘れて、そして我がなせることが自ずからなる努力であって欲しい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。
努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真の好いものである。

ここには厳しいけれど、なるほど、ということが書かれています。本当はやりたくないものだから、鉄のムチで自分を叩かないと続かないような努力は不純だよ、ということです。なんとなく、歯を喰いしばって頑張っているようなのが立派なような気がしますが、そうではなくて、努力をしていることなど忘れてするような努力が本物であり、努力の醍醐味なのだと言っています。自分はこんなに努力していると言って努力するのは、本当によいことではないのだ。努力していることを忘れて努力することが本当によいことなのだ、と言っています。

将棋の藤井七段が、テレビのインタビューで「プロ棋士として、対局もしながら高校に通うのは大変じゃないですか」と聞かれていましたが、「時間があると将棋のことしかしないので、高校に行くのはよい気分転換になります」と言っていました。多分、彼には、毎日膨大な詰め将棋をしたり、長時間棋譜を並べたりすることは努力とは感じないのでしょう。放っておくとずっとそんなことばかりしているから、高校に行って勉強することはよい気分転換になるのでしょう。すごい話だと思います。藤井七弾は天才棋士と言われていますが、小さいころから常人には考えられないような努力を、努力とも思わず続けているのでしょう。露伴が言っているのもそういうことではないかと思います。最初の論点は、「努力」ということの本質と、それに絡めた成果との因果関係についての話でした。

 

2.幸田露伴著『努力論』幸福三説

次に『努力論』でいちばん有名な「幸福三説」と呼ばれる「幸福を維持し拡大するための考え方」ともいうべき本書の核心部分を見ていきます。

論点1.「惜福(せきふく)」の努力

第一に幸福にあう人を観ると、多くは惜福の工夫のある人であつて、然らざる否運の人を観ると、十の八九までは、少しも惜福の工夫の無い人である。福を惜む人が必らずしも福に遇ふとは限るまいが、どうも惜福の工夫と福との間には関係の除き去る可からざるものが有るに相違ない。惜福とはどういうものかというと、福を使ひ尽くし取り尽くしてしまわぬをいうのである。

この話の前に、露伴は幸不幸について、人生を航海に例えて、それはあくまで「主観的なものだ」と言っています。船が海に出ると必ず風に左右されるように、人生においても順風の時もあれば逆風の時もある。しかし、順風・逆風と言っても同じ風が吹いているのであって、たとえば、南風が吹いていたとして、北に向かう船には逆風になり、南に向かう船には順風になるだけであって、風自体は同じ風であり、別に福をもたらす風とか災いをもたらす風という区別はない。これと同じように幸不幸というのも、その感じ方は主観的なものなのだが、一般的に幸福に合うという人を見ていると、「惜福」の工夫のある人のようだと言っています。そして、惜福とは何かというと、福を使い果たしてしまわないことだということです。

『好運は七度人を訪ねる』という意の諺があるが、いかなる人物でも周囲の事情がその人を幸にすることに際会することはあるものである。その時にあつてできる限り好運の調子に乗ってしまうのは福を惜まぬのである。控へ目にして自ら抑制するのは惜福である。畢竟福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、又使ひ尽くしてしまわぬが惜福である。

「人間は7回幸運に恵まれる」ということわざもありますが、どんな人でも棚ボタ的な幸運に遭遇するものです。しかしその時に、調子に乗ってその運を取りつくしてしまわないのが、惜福だということです。予期せぬ遺産が転がり込んでくるようなこともありますが、宵越しの銭は持たない感じで使い果たしてしまうような人は、福を惜しまない人だということでしょう。

倹約や吝嗇を、惜福と解してはならぬ、すべて享受し得べきところの福佑を取りつくさず使ひつくさずして、これを天といおうか将来といおうか、いづれにしても冥々たり茫々たる運命に預け置き積み置くを福を惜むといふのである。
個人が惜福の工夫を缺いて不利を享くる理は、団体若くは国家においても同様でなければならぬ。軍事も同様である。将強く兵勇なるに誇つて、武を用いる上に於て愛惜する所が無ければ、終には破敗を招くのである。
軍隊の強勇なるは一大福である。しかし此の福を惜む工夫が無ければ、武をけがすに至る。金穀船馬も無限に生ずるものでは無い。まして軍隊の精神はパンを焼くように急造し得るものでは無い。陸海軍の精鋭は我が邦の大幸福であるが、之を愛惜するの工夫を欠いたならば寒心すべきものがある。
福を使いつくし取りつくすということは忌む可きであつて、惜福の工夫は国家にとっても大切である。

間違ってはいけないのは、惜福とは、ケチということではなく、福を使いつくし、取りつくしてしまわず、将来のため、未来のために積立てておくことだということです。

そして惜福は、個人だけでなく、組織や国においても当てはまる考え方だと述べています。ここでは軍隊の例えが出ていますが、会社で例えると「人を大切にする経営」のことです。業績を上げるために、せっかく入社してくれた社員を消耗品のように使うような経営は、惜福でありません。

人の使い方において福を惜しむというのは、適材適所ということだと思いますし、個々人にとっては、自分の才能を惜しむということだと思います。短期的にダメだからといって、自分がダメだとか決めつける人も多いですが、そうはならないでほしいと思います。また、目先の業績を追うだけでなく、バランスのとれた投資と蓄財についての惜福的な考え方が大切なのです。松下幸之助さんの言葉で「ダム経営」があります。お金のダムをつくる、人のダムをつくるという発想は惜福の考え方そのものではないかと思います。

次回は、引き続き幸福三説の残り二つについてお話します。