我以外皆師 ~なぜ人の意見を聞けないのか~

はじめに、なぜこのテーマにしたかお話します。この「我以外皆師(われいがいみなし)」という言葉は、ある有名な小説家が座右の銘としていた言葉ですので、知っている人は知っているのではないかと思います。

要するに「自分以外は皆、先生だと思って接しなさい」ということです。それはどういう意味かと言うと、「どんな人であってもどこか自分より優れたところがあるだろうから、先生だと思って学びなさい」ということでしょう。「初心忘るべからず」と言いますが、習い事をしていても、本当に上手になる人というのは、自分の専門外の人をも、先生と思って学ぼうとするものです。ところが、ちょっと上手になってくると慢心して人の意見を全く聞けなくなる人もいます。

副題として「なぜ人の意見を聞けないのか」という題をつけましたが、むしろ、これが今日のテーマです。なぜこのテーマを選んだかというと、最近すごく優秀な方なのに、全然ほかの人の意見を聞こうとしない方と、出会ったからです。優秀な方であっても、天狗になってしまうと、全く人の意見を聞かなくなるということがあるのだな、と思ったからです。そこで、他山の石ではありませんが、私も社長になって10年近くなりますので、そういう兆候が出ているなら、遠慮なく指摘してほしいと思いますし、自戒したいという趣旨でこのテーマを選んだ次第です。

 

どんな人が他人の意見を聞けないのか

他人の意見を聞けない人の典型的な例は、永年ワンマン社長を続けてきたような方が、歳を取っても権限を委譲せず、全部自分で決めないと気が済まないという、いわゆる「老害」です。最近も大手の住宅賃貸会社で、設備の不備が社会問題化しましたが、その原因は、つまるところ、創業トップがワンマンで部下の意見を聞かないからだった、と言われています。こういう例は枚挙にいとまがありません。成功した創業者、一代で財を成した人、会社の中で功績があったベテランなどにも、そのような傾向がでてくるようです。また、家庭の中でも、頑固おやじになって息子や娘のいうことを、聞かないお年寄りはたくさんいます。歳を取ると身体が不自由になるせいか、とてもわがままになりますし、「昔からこうするものだ」という考え方に凝り固まっている人は、その結果周囲が迷惑しても、まったく顧みない年寄りもいます。

では、年配の人だけかと言うと、意外にそうではなく、若い人でも人の意見を聞けない人は、たくさんいます。何かアドバイスをしようにも、全く聞く耳を持たないで反発ばかりする、全然素直でない若者というのもいます。そういう人は、多分、思春期に傷ついた経験があって、まだその傷が癒えていないのでしょう。二度と傷つくのが怖くて、外部からちょっと刺激されると、ハリネズミのようにすぐバリアを張って殻に閉じこもってしまいます。

結局、人の意見を聞けない人は、傍から見ると非常に我が強くて、素直でないということではないかと思います。どちらかというと女性の方が柔軟で素直なイメージがありますが、男女に限らず、そういう方はいます。

 

人の意見を聞くことの効用

エピソード①: 松下幸之助が言った絶対に欠かせない「指導者の条件」とは?

人の意見というのは、確かに当たっていることもあれば外れていることもありますが、たとえ外れていたとしても参考にはなります。結局、人の意見を聞かないことの何がよくないかというと、その人の伸びしろを否定することにつながってしまうからではないかと思います。

松下幸之助さんの著書に『指導者の条件という本があります。これは私が30代の頃から繰り返し読んでいる本です。この本が出版された時、この本に記載されていた「指導者の条件」が102項目もあったので、ある記者が松下さんにこういう質問をしました。

「いままで経営をしてこられたその経験から、指導者として必要な条件は、いろいろとあると思われますし、すでに折々にいくつか挙げておられますが、しかし無理なことだとは思いつつ、あえて質問させていただきます。指導者や経営者にとって、必要な条件、これだけは、絶対に持っていなければならない条件をひとつだけ挙げて頂けませんでしょうか?

この問いかけに対して、松下さんは、「う~ん、そうですなあ、ひとつね、ひとつだけですな。ま、ひとつだけ指導者に必要な条件を挙げよと言われれば、それは、自分より優れた人を使えるということですな。そう、これだけで十分ですわ」とおっしゃったそうです。

実は、この本を最初に読んだ30代のころは、これが唯一の指導者の条件ということに対して、あまりピンときていませんでした。というより違和感がありました。やはりリーダーである以上、一番優秀であるべきで、自分より優秀な人に仕事をさせようというのは、なんか無責任なんじゃないかという感じがしたのです。しかし今、60代になり、社長をさせてもらっていて、松下さんのこの考えは本当によくわかります。

先日も、ある部門の会議をしていて、以前は「(お客様や上司から)言われたことを言われた通りにやることが仕事だ」と思っていたような社員が、当社の理念をきちんと理解し、「会社全体(社員の幸福実現)のために、自分はこうすべきだ」と、自分の頭で考え、発言してくれるようになっていたのが、本当に素晴らしいと思いました。社員が責任を持って会社のことを考えてくれるというのは、社長としてとても嬉しいことです。こういう会社にしたかったというのが、私の理想としてずっとありましたが、少しずつそういうカルチャーが出来てきたことが本当にありがたいと思います。また、自分たちが幸福になるために、「成果を上げることが貢献である」ということを理解し、あれこれ細かいことを言わなくても実行してくれるようになったことも、本当にありがたくて、嬉しいことです。以前、東海バネの会長・渡辺さんが「自立できるということは、言い値で買ってもらえるようになること」とおっしゃっていました。これを実現することは簡単なことではありませんが、こういったことを実行できる社員が増えてきたのは、幹部の皆さんの指導の賜物でもありますが、実にありがたいと思います。

部下が社長に頼らないで、自分で考えて行動することを嬉しく思えるのは、こういう本を読んでいたからだったのかなと思います。このように、若いころには分からなくても、歳をとって分かることもありますが、経営の神様と呼ばれる人がおっしゃったことでもあるので、非常に重要なことだと思います。

 

エピソード②:アンドリュー・カーネギーの墓碑銘

これも結構有名な逸話ですが、アンドリュー・カーネギーが自分の墓に刻ませた有名な言葉があります。アンドリュー・カーネギーは、鉄鋼王と言われている大富豪ですが、元々はスコットランドの貧しい移民で、裸一貫で巨大な富を築き上げた方です。以前ナポレオン・ヒルの成功哲学についてお話しした時にもご紹介したことがあります。この人が「成功者をたくさん紹介するから、20年かけて成功法則を発見し後世に遺しなさい。ただし無報酬だが、それでもやる気があるか?」という試験をして、それに合格したナポレオン・ヒルが成功哲学を考えたという話をしたことがあったかと思います。

『経営者の条件』という本で、アンドリュー・カーネギーが自分の墓に刻ませたという有名な言葉を引用したのが、これまた有名なドラッカーです。ドラッカーは、これこそが経営の条件だと言ったのです。

Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.

直訳すると、自分よりも賢い人たちを集める方法を知る者ここに眠るということです。

ちょっとビックリしますが、松下さんも、カーネギーも、ドラッカーも自分より優れた人を使えることがトップの条件なのだと言っているのです。人を使える人というのは、当然、人の意見をきちんと聞ける人でしょう。これこそ、人の意見を聞くことの最大の効用なのです。

 

「トップがオールマイティでなければならない」という考えは発展を止める

要するに「トップがオールマイティでなければならない」という考えは発展を止める、ということです。何もかもトップが判断しないといけない組織だと、トップの能力以上には大きくなりません。これは、決して善悪の問題ではありません。どういう経営がいいとか悪いとか、言っているのではないのですが、たとえば、従業員が数名、数十名の小さな組織だったら全部社長が決めてもいいのです。しかし、もしこの組織を大きくしようと思ったら、人が使えないと、大きくはできないのです。個人営業でも、チームを作ったり、組織を発展させたり、大きくしていこうと思ったら、そこをやらないといけないということです。組織を大きくするのが良い、というわけでもありませんが、わが社の場合、二百数十名の社員がいて、協力会社の方もかなりいるわけですから、そういう人たちを幸せにしていくために、組織を大きくしていくことは必要なことです。

なぜ、発展を止めるかというと、もし、「部下よりも知識を持つこと」「賢くなること」「経験を積むこと」「お金に強くなること」「技術にくわしいこと」……など、全てにおいて部下より優れた存在になることがリーダーの条件だというのであれば、結局トップの能力の限界が組織の限界になってしまいます。適切かどうかわかりませんが、ゴルフに例えると、全部自分でショットを打つのをやめて、自分より上手な部下に打たせるようなものです。ドライバーはAさんに、アプローチはBさんに……と、自分がすべて打つのではなく自分より上手い人に打ってもらうことです。ゴルフでは違反になりますが、経営はそういうことができます。よく「強みを生かす」と言っていますが、こういうのもアリで、自分一人でやらなくていいのが経営なのです。

 

自分の能力が組織の限界になった『白い巨塔』の財前医師

先日テレビで『白い巨塔』というドラマを5夜連続でやっていました。これは山崎豊子さんが約50年前に書いたベストセラー小説で、最初に読んだのは大学生の頃でした。財前五郎という岡山出身の外科医が主人公の話で、何度も映画やテレビドラマになっています。

スーパードクターのままでいればよかったのですが、小さい頃からのコンプレックスもあり、教授になるという野心を抱きます。教授選に出馬した財前は、権謀術数を駆使して教授になるのですが、その直後の手術で、若い医師の言葉に聞く耳を持たず、同僚の里見という内科医意見も無視して我を通したことから患者を死なせてしまいます。ハッピーエンドでも何でもない、非常にドロドロした人間劇ですが、いろんな意味で医学会に波紋を投じた問題作です。50年経ってもリメイクされ、つい観てしまうというのは、やはりいろいろな教訓が含まれているからでしょう。

結局彼は、指導する立場の大学の教授になった時に、変わらなければならなかったと思います。指導者の条件は「自分より優秀な人を使えるようになることだ」ということを悟ればよかったのですが、それを悟ることができなかったから悲劇を生んだのです。

 トップ自身が、自分がトップとして果たすべき最大の責任は、自分より優秀な人を使えるようになることだということに気付くことができれば、その組織は、トップ個人の能力をはるかに超えた発展が可能になることを意味しています。会社のチームやプロジェクトもそうですし、家庭もそうかもしれません。結局は、自分の能力を超えた発展を目指すならそうすべきだということです。特に、多くの社員や関係者を幸せにしようと思うなら、自分より優秀な人を使えるようになることを心掛けることが大切だと思います。

たとえば、誰かと話をしている時にその人と自分を比較して「あの人はあれを知らない、あれができていない」とか「あの人より自分は優れている、よく知っている」というような欠点やアラ探しをするのではなく、「あの人はここが優れている」「あの人のここを学びたい」と言えるように心がけることです。個人的には、最近意識していることなのですが、若い方々に対して「最近の若い人は立派だ」と声に出して言うようにしています。

しかし、現実には、『白い巨塔』の財前医師のように部下の進言を頭ごなしに否定するような、いわゆる「聞く耳を持たない上司」が存在することも事実です。自社にいなくても、取引先にそういう方がいらっしゃることがあるかもしれません。次に、はなはだ個人的な分類ではありますが、どういうタイプの人が人の意見を聞けないのかを考えてみたいと思います。

 

人の意見を聞けない4つのタイプ

①自己保身の思いが強いタイプ

こういう人は大抵、頭のいい人でセルフィッシュな人です。先ほどの財前医師タイプです。また、会議などで会社の方針に総論的には賛成しても自分からは何もしない、いわゆる「面従腹背型」の人もいます。そういう人も聞く耳を持たないでしょう。皆さんとても頭がいいのですが、頭のよさを全体の貢献のために使わずに、自己保身や自己保存のために使う傾向性があります。できない言い訳をするため、責任から逃げるため、責任を取らないための理屈付けをすることが仕事の大半になっている人もいます。役所や大企業の管理職に多いように思います。

②職人肌で「自分が最高」と思っているタイプ

マニアックな技術者や職人さんに多く見られます。小さな世界で頂点を極めたと思っているような人で、本当に最高かと突き詰めると、客観性がない場合も多いのではないかと思います。

③プライドが高く、傷つくのが怖いタイプ

これは、自分に本当の意味での自信がなくて、人の意見を聞くと、今まで苦労して積み重ねてきたものが壊れてしまうような気がするような人です。創業経営者に、よくいらっしゃいます。典型的なのは、嫁の意見が聞けないお姑さんでしょうか。何かコンプレックスがあり、本当の自尊心を持てない方です。

④言葉尻をつかまえて切り返すタイプ

いわゆる口のたつ人で、自己主張ばかりして全く話がかみ合わない方がいます。ああ言えばこう言うタイプで、すべて議論で切り返すことで生き抜いてきたような人に、多いように思います。すべてに対して批判しかしない政治家のような感じでしょうか。批判や否定はするが、代案や建設的な意見は言わないし、言えないような方です。

以上、人の意見を聞けない人の傾向性を、4つのタイプに分類してみました。自分の思いや発言を振り返るときの、参考にしていただければと思います。

 

グラッドストンとディズレーリ

グラッドストンとディズレーリは、全盛期のイギリスの政治家で、次のような面白いエピソードがあります。


1874年のロンドン。2人の男が全盛期の大英帝国の指導者の座を争っていました。自由党党首ウィリアム・グラッドストンと保守党党首ベンジャミン・ディズレーリです。政権を獲るのが、自由主義者のグラッドストンか帝国主義者のディズレーリかにより世界情勢は大きく変わります。

そんな世界情勢の中、投票日の一週間前に一人の女性がグラッドストンとディズレーリと会食する機会を得ました。メディアはその女性に両雄の印象を尋ねました。

最初に、グラッドストンと会った時の印象聞かれた女性はこう答えました。

「グラッドストン卿とお話した時は、卿こそが世界で一番賢明な方だという印象を受けました。」

次に、ディズレーリと話した印象を聞かれると、女性はこう答えたいうのです。

「ディズレーリ卿とお話した時は、私が世界で一番賢明な人間だと思えました。」


これは、先ほどの『指導者の条件』自分より優れた人を使えるか、という話とは少し違うかもしれませんが、実に面白いエピソードだと思います。

グラッドストンは、頭のいい人であることを印象付けましたが、ディズレーリは、相手の話をしっかり聞いて、相手に自分は優れていると思わせる力を持っていた、ということになります。相手に、「自分のいいところを発見してくれて嬉しい」「この人とだったら働きたい」「この人の為だったら頑張れる」と思わせる人だったのでしょう。民衆に対して、聞く耳を持っている人の方が良くありませんか。このようなエピソードもあるので、参考にしてみてください。

 

我以外皆我師也(われ以外皆わが師なり)

最後に、冒頭のテーマに戻りたいと思います。これを座右の銘にしていた作家とは吉川英治です。有名な『宮本武蔵』という小説を書いた人です。司馬遼太郎は皆さん知っていると思いますが、司馬遼太郎よりも一世代前の歴史小説の大家中の大家です。この言葉は、宮本武蔵が言っていた言葉だそうです。武蔵のような剣の達人が「自分以外は皆、先生だ」と言っていたのです。吉川英治ほどの大作家が、「自分以外は皆、先生だ」と思って仕事をしていたのです。

自戒の意味も込めて申し上げれば、自分の権力や名声のためではなく、組織の理念実現のために真摯に研鑽を積み、自分の専門領域については努力を続ける、と同時に、それで天狗になってしまわないで、常に「自分以外は皆、先生だ」と思うような気持ちで、他の方々に接していけるといいと思います。皆さんも、色んな技術を学んだりするなかで、いろいろとストレスやトラブルもあると思いますが、自分自身のぶれない軸として「我以外皆師也」というような心構えを持って、生きていければ素晴らしいと思います。